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原爆の語り部米澤さんの「オバマ広島入り」についての声明文 [原子爆弾被爆]

6月4日午後の「戦争法廃止!安倍内閣退陣! 6・4京都大行動」の行われた京都東山区の円山音楽堂の入り口で広島爆心地700メートルで被爆した米澤さんに呼び止められました。2枚のA4用紙を渡されまして「オバマの広島訪問について」と題した声明文でした。日付は2016年5月27日でした。で、読んでいくうちにぜひとも当ニュースで紹介しないと行けないという気持ちになりました。実は数日前の「安保法に反対する19日デモ」でご一緒になり解散後3人で交流会をやりました。その時に「累々とした死体が眠る慰霊碑の前を土足で歩くのは許せない」とお怒りだったのです。

オバマの広島訪問についての全文→オバマ広島訪問pdf 

オバマの広島訪問についての略報

 マスコミは歓迎ムードを作り出した。安倍は失政を覆い隠すため利用した。

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 アメリカの原爆投下の誤りを指摘した多くの指導者は鬼籍に入ってしまった。

 抱擁し涙を流していた森さんという方はアマチュア歴史家で被爆死した米軍捕虜の研究をしていた人らしいが一般には知られておらず、一部の米軍関係者しか知られていないようだ。当時の米軍捕虜を式典に招くとゆう構想だったらしいが森さんが被爆者だったこともあり、登場したようだ。安倍の意向が伺われる。

 戦争終結のための原爆使用説は、当時敗戦必死の日本の状態を見れば嘘であり、トルーマン大統領が戦後政治を見据えた使用であった。

 核の使用は管理が今でもできないことを考えれば、明らかに人類いや地球に対する「犯罪」であり、未来永劫批判されなければならない。

 広島の土の下には、特に爆心近くには無数の骨肉が埋まっている。米軍最高司令官が謝罪なしでしかも土足で下り立ったことは死者に対する冒涜以外のなにものでもない。

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↑米澤さんが使う爆心地図 

 広島の友人が「トルーマンは悪いがオバマはまだ生まれていない。わしらに戦争責任を問うのと同じで納得できん」と言った。日本人の感覚には、自分の父や親せき、兄が犯したアジアの人々に対する戦争犯罪を、終わったことにしようとする風潮が多い。こうした考えが安倍を生み出し、ヘイトスピーチを生み出している。

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オバマは日米同盟の強化とアベノミクスの失敗を糊塗するため来日したと思って間違いないだろう。岩国基地から入り慰霊碑に献花(これは儀礼的なもので哀悼、謝罪ではない)の後、原爆資料館の視察をわずか10分、模型の地図を見る時間もない。被爆者との歓談とやらも屋外でハグし合う程度で全くの素通りであった。

 声明も「核のない世界の実現は私の生きている間は難しい」とは、私のように反核運動を65年以上続けた老人が言うならまだしも、最強の大国の、最初の原爆を落とした国の最高権力を持つ人間の言葉とは思えず、「核廃棄は見込みがありあせん」と正直に告白したとしか思えない。(←写真は京都の関電支店前で原発稼働に抗議する米澤さん)

 

謝罪については彼らの犯罪を隠微したものであり、それでも最近の世論は六分四分ぐらいになっており、オバマ自身がその気になれば謝罪できることである。

原爆も原発も人類滅亡の恐ろしい凶器であり最初に使用した道義的(私は思わない)責任というなら自ら率先し具体的行動で「核」の完全廃棄を行うべきである。 

 私はオバマ大統領の被爆地訪問が、きれいごとで済まされ、安倍のアジア侵略の否定とオバマの世界戦略の忌まわしい同盟が日本のマスコミをはじめ、日本の戦争責任やアメリカの人類に対する犯罪を歴史から葬り去ろうとする流れが許されないと思った                                                                    

2016年5月27日

原子爆弾被爆者 米澤鐵志 

原爆について語った後に 子どもたちとの記念撮影(2015年9月21日)↓

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今も戦争反対や原発反対デモには必ず米澤さんの顔がある(2013年5月31日)↓130531-1830.jpg
 
 米澤さんが語る原子爆弾とは(2015年のママの会での講演から)
 

1)原子爆弾のこと  僕は、爆発の真ん中から750メートル離れた、満員電車の中でお母さんと一緒に被爆(放射線に当たって危険な目に合うこと)した。   広島に落とされた原子爆弾の名前はリトルボーイ(日本語で「小さな男の子」という意味)。その破壊力は、爆発の真ん中から半径2キロより内側の建物は全部焼けてなくなり、全部で4万8千ものたくさんの家が半径5キロまでの中でほとんど壊されて、その影響は7キロまで及んだ。20キロ離れた呉や宮島でもガラスが割れた。

 (2)思い出すいろいろな場面  原爆にあってから家に着くまでに見た地獄のような景色とそれからの出来事

   <電車の中でのようす> 割れたガラスが身体中に刺さる人

   <熱線を浴びたひとのようす> 皮膚が一瞬にして焼きつくされ身体の中まで焼けてしまうほどの熱さ

   ○シャツの黒い点だけが焼けている

   ○中学生の女の子たちのようす

   ○水を求めて川へ入っていく人の様子

   ○黒い雨のこと

   ○ケガをした人たちを助けるためのトラックがやってきたときのようす

   ○駅で見たたくさんのケガをした人のようす

   ○お母さんと妹が死んだときのこと

 (3)奇跡的に生き残った理由  戦争に負けた日次の日から、髪の毛が抜けて、40度を超える熱が出る。

   ○ギュウギュウづめのとても頑丈な鉄でできた満員電車の真ん中にいたから

   ○8階建の福屋百貨店という大きな建物の陰になっていたから

   ○原爆が落ちた後ふる黒い雨に当たらなかったから

   ○その日のうちに広島を離れたから

   ○原爆が落ちたあとの汚れた水を飲まずに済んだから

   ○回虫(お腹に住んでいる虫)を大量に吐いたから 
 


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